宗教じみてるかもしれないが。
お久しぶりです。
ぷーたんです。
世の中がコロナとかどうとか騒いでるうちに愛しの高海千歌ちゃんの旅をしてきました。
前に沼津に行った時はちょろっと駅前と港とさわやかって感じだったんですが、今回は本格的に行きたいところに行ってきました。
どこを通っても作中のシーンという感じで非常に良かった。
推しの実家にもいけたしね。
聖地巡礼といえば大洗は一回行きました。
僕は西住みほちゃんが好きです。
いや、キャラに優劣をつけるのもおかしいんですが、正直千歌ちゃんのほうがどストライクキャラなんですよね。
大洗ではあくまでガルパンという作品に重きを置いていったんですが、今回は千歌ちゃんに重きを置いて行きました。
これが案外、違くて。
キャラに重きを置いた巡礼のほうが正直面白かったですね。
沼津も大洗ももちろん町の皆様が親切にしてくれるので居心地は良いです。
千歌ちゃんが好きで好きでたまらない僕が、千歌ちゃんの実家に行くというだけで心が洗われてしまう。
まるでぼくが千歌ちゃんととても近い存在になったように感じ、まるでここに千歌ちゃんがいるように思えてしまう。
正確には千歌ちゃんの家のモデルというのが正しいのですが、『僕にとって大切な人が生まれ育った場所』という意味ではモデルではなく本物なんです。
作中に出ている場所とはまるで違う理由なんです。
安田屋旅館がなければ千歌ちゃんの育った十千万旅館生まれてないですし、十千万旅館で育って、そういう環境で育ったことで生まれた性格や人格は安田屋旅館がなければ生まれない。
俺が好きな千歌ちゃんのルーツはそこにあり、これは千歌ちゃんの実家といっても差し支えない。
そんな気持ちが出来てしまう。
家にしろ、会社にしろ、友人関係にしろですが。
僕がどれほど千歌ちゃんを好きでも、それを良しとはしてくれると限らないし、表現にも限界があるんですが、沼津は違った。
ただそこにいるだけで、僕が千歌ちゃんを好きということを正しく認めてくれているし、俺自身が実感できる場でした。
今回良くある千歌ちゃん好きだよ!!!って自己アピール的格好をして行ったわけではありませんが、その気持ちもわかってしまった。
町にいると、オタクとオタクを迎える人しかないから、アピールをしてるだけで口を開かなくとも『あの人は〇〇が好きなんだな』ってわかってくれる。
こんな場はほかにないんじゃないかとさえ思う。
観光名所がとうとかではなく
ただ単に好きな気持ちを後ろめたさがなく表現できる場所として心地の良いものだったなって改めて思ってしまう。
リピートするのも納得できてしまったなぁ。
ここが俺のエルサレムだ。
また年末あたりに行きたいなってしみじみ思ってしまった。
次は安田屋さんに泊まります。
ただひとつデメリットとして、安田屋旅館でお風呂に入ったんですが、そのお風呂が想像より小さくて、千歌ちゃんのどちゃシコ同人誌で抜けなくなってしまった。そんなに声をあげたらバレるやんか。シチュが壊れてしまう。